賛否両論『ラ・ラ・ランド』─ 否定意見への反論をもって擁護する

擁護派の逆襲

2月下旬に公開されるや否や、アカデミー賞大本命の評判も手伝ってかロケットスタートで、ここ日本でも大ヒットを記録している『ラ・ラ・ランド』。早くも興収15億円観客動員100万人を突破し、人気シリーズの続編やアメコミ原作でない洋画にも関わらず、予想を超えた大ヒットを記録しており、その勢いはまだまだ落ち着きそうにない。

http://www.imdb.com/title/tt3783958/mediaviewer/rm2015363072?ref_=ttmi_mi_all_sf_126

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それだけ多くの人が観ていれば映画の感想も、様々な反応が当然あり、賛否両論が起こっている。現に、ORIVERcinemaでも私のような肯定派がいる一方で、否定派もいる。

もう散々語られてきた感もあり、そろそろ「もう、いいだろう……」という声も聞こえてきそうだが、どうも否定派の意見が、真っ当な思想を携えた批評でなく、ただの印象論でしかないように思えて仕方がない。

映画というものは理屈で観るものでなくエモーショナルな部分で観るべきと私も考える。
もちろん、賛否に対する意見なので、私自身も個人的な感想に依存している面は少なからずあるし、根源的な擁護はそれに起因する。なので、個人の感想にケチは付けるつもりはない。しかし、これらの否定派の意見は、表面的な文句であり、「では、どうあるべきなのか?」のという提案に事欠いている。単なるクレーマーのすることである。それは、思想の無さに直結する。これらは、稚拙な文句でしかなく、真っ当な評価にはならないではないかと違和感を感じていた。これは、ここ数年、誰もが自分の直感的感想を、“批評”と呼んで、堂々と匿名で“クレーム”を言ってる違和感と等しい。

何故、人は批判に走り、そこに意見が留まるのか?
本作の制作者の発言や意図、思想を考慮し、正当な理由で肯定しながら、『ラ・ラ・ランド』否定派の意見に正々堂々と反論していきたい。

例えば、批判意見の中に「ライアンとエマの歌とダンスが下手」というものがある。
こういう身も蓋もない不毛な議論しか起きないだろうクレームには真っ当に回答する方が野暮だ。
なので、私なら「だって、彼らは歌手じゃないから」「役者だから」と言うに留まるだろう。

【注意】

この記事には、『ラ・ラ・ランド』に関するネタバレ内容が含まれています。

シュールレアリズムとリアルの巧みな変換

SNSはじめ各映画レビュー媒体で多く見る批判に、こういうものがある。「ミュージカルかどうかの疑問、ミュージカルとしての資質の低レベル加減」だ。
主な理由はこうだ。現実世界とミュージカル・シーンの境目が曖昧で、高揚感に欠ける。

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いや、それこそ、ミュージカル映画として優れていると私なんかは思った次第だ。同じ現象を観て正反対の感想を持った時点で、もはや決して交わることの無い完全な思想の違いと言えるだろうが、冒頭のシーンなんかでも、あれよあれよと言う間に、カラフルな衣装をまとった人々が車の上で歌い、舞い踊り、質素なだけの渋滞シーンが、ブロードウェイのような華々しい舞台に変わる。この、現実世界=リアルから、ミュージカル・シーン=非現実世界、“シュール・レアリスム”へのさり気ない変貌こそ、優れたミュージカルかどうかを差し測る上での重要なファクターとなる。で、曲が終われば、何も無かったように“リアリズム”に舞い戻る。見事としか言いようがない。

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Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate. (C) 2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.

他のシーンもそう。セバスチャンとミアが街灯の下で踊る時も、ミアがオーディション中に「好きに自分を表現するよう」言われた“Audition”を歌った時も、いつの間にか私は歌に踊りに魅了されていた。「これから、ミュージカルが始まりますよ、3、2、1、スタート!」といった“あざとさ”の無さこそ、『ラ・ラ・ランド』がミュージカルとして優れていることを物語っていると定義づけたい。私がこれまでの生涯で“ベスト・ミュージカル映画”と位置付けたい『ヘアスプレー』『シカゴ』『美女と野獣』(アニメ)『マイ・フェア・レディ』なんかもそうだったように。

“現代に誕生すべき映画である”という証明

続いて、「過去の名作からの引用が散りばめられているが、所詮パクリにしか思えないし、オマージュも失敗している」という批判。

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http://www.imdb.com/title/tt0045152/mediaviewer/rm618085120

この映画がオマージュを捧げている名作は『シェルブールの雨傘』『雨に唄えば』が主に挙げられるが、何かとそれらの映画と比べて批判する人が多い。まず、過去の名作との比較自体が意味を成さないと私は考える。また、懐古主義だけで、現代の映画を批判している意見も目立つことも腑に落ちない。これらの批判に対しては、来日時のチャゼル監督のインタビューの中の次の言葉を読めば即座に解決する。

「昔はよかった」という人はたくさんいるよね。例えば、絵描きの場合は「ルネッサンス期が一番だ」、フィルメーカーの場合は「40年代から50年代のLAが最高だ」という具合に、ある時代だけを理想化してしまう人たちだ。でも実際は、どの時代にもそれぞれの限界がある。大事なのは、今の時代に生きている人たちにきちんと通じるものを作ること。この映画では、クラシックな映画と今の映画、昔のLAと今のLA、昔の音楽と今の音楽……というように、過去と現在のバランスを取りたいと思ったんだ。そのバランスがいらないのであれば、時代設定を40年代から50年代にして、時代劇のようにしてしまえばいい。僕が今回やりたかったのは、クラシック映画のプリズムを通して、現代のLAを描くことだったんだ。

出典:http://realsound.jp/movie/2017/02/post-4167.html

『シェルブールの雨傘』や『雨に唄えば』は名作だ。しかし、これらを賞賛するだけの懐古主義で終わっては、現代で映画を観るに当たって“時代性”という視点に欠ける。また、『ラ・ラ・ランド』が2016年に誕生した意味が無い。映画は時代性と共に観るものなのだから。
例えば、『ロッキー』や『ランボー』が支持されたのも、当時のアメリカのベトナム戦争での失敗で低迷した国民性を鼓舞する、マッチョなアメリカイズムが描かれていたからだし、『俺たちに明日はない』『真夜中のカーボーイ』など、これらアメリカン・ニューシネマが名作とされるのも、当時のスタジオ・システムの崩壊やテレビの影響などにより、ハリウッドは製作本数も産業としての規模も凋落の一途を辿った過去があるからだ。
『ラ・ラ・ランド』が時代背景を反映してるとは流石に私も思わない、オスカーが、人種問題、ドラッグ、DV、貧困、同性愛……現代の諸問題を描いた『ムーンライト』を選んだことが何よりも雄弁に語っているだろう。

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http://www.imdb.com/title/tt3783958/mediaviewer/rm206781952


『ラ・ラ・ランド』が現代に必要な映画である理由

では、『ラ・ラ・ランド』は現代に意味を成さない映画であるのか? それを紐解くために、「ミュージカル映画事典」の著者・重木昭信氏の言葉を借りながら、ミュージカル映画が誕生した背景を見ていき、『ラ・ラ・ランド』が今必要なのかについて考察したい。

第一次世界大戦(1914~18年)が終わった後に、欧米では戦争中に労働動員された女性たちが長い髪をバッサリ切り、断髪姿の短いスカート姿で社会進出して、過去にないほど元気な時代となりました。女性の社会進出の始まりです。アメリカでは「動乱の20年代」と呼ばれました。しかし、1927年のトーキー映画誕生の直後にバブル経済が崩壊して、1929年の大恐慌があり、1930年代は大不況の時代となりました。その不景気な中で求められたのは、この世の憂さを忘れさせてくれる楽しい音楽作品でした。

と、あるように、混沌とした時代にこそミュージカル映画は必要なのだ。

https://www.nytimes.com/2016/12/13/arts/dance/mandy-moore-dance-in-la-la-land.html

https://www.nytimes.com/2016/12/13/arts/dance/mandy-moore-dance-in-la-la-land.html

『マイ・フェア・レディ』や『サウンド・オブ・ミュージック』が誕生した1964~65年は、第二次大戦後の経済が急成長に伴い、核戦争の脅威が世界中を覆った時代だし、『シカゴ』が誕生した2002年は9.11後の傷付いたアメリカと、イラク戦争が始まる狭間だし、『ヘアスプレー』が誕生した2007年はサブプライムローン問題を発端としたアメリカの住宅バブル崩壊の頃だ。

世界情勢が不安定な時こそ、ミュージカルが流行する。確かに深刻さはなく、時代性が反映されないポジティブなジャンルであるが、欧州各国のナショナリズムの台頭、トランプ政権発足後の排他主義の横行など、今、世界は不安を抱えている、イラク戦争が激化した時代の世界のキナ臭さを彷彿とさせるものがある。そう考えれば、『ラ・ラ・ランド』が、現代において必要であるミュージカル映画であると定義しても何ら不可思議はないだろう。

批判と批評は違う

とにかく、『ラ・ラ・ランド』は一定数の否定意見もあることながら、それでも肯定意見が大半を占める。それによって、特に最近の日本での現象として感じられるのは、“肯定派の多いコンテンツを批判すると、たちまち「(私たちの愛する映画が)ディスられた」と否定意見が異質なものとして捉えられ、肯定多数派から総攻撃をくらう”ことだ。これは、2016年に日本で大ヒットし話題になった『君の名は。』『シン・ゴジラ』で顕著に表れた現象とも言える。中には、“その人が批評的な視点を持って映画を観ているかどうかすら阻害する行為”と指摘する意見もある。しかし、私は思うのだが、そういった映画と対峙する姿勢を持つ人々は映画を最初から批判的な視点で観ることの不毛さに気付いているのだろうか。それなら始めから観なければいいのではないか?

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http://www.thewrap.com/snl-grills-aziz-ansari-la-la-land-oscars-westworld/

アメリカの長寿番組『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』では、コント「ラ・ラ・ランド取り調べ」(La La Land Interrogation)を放送した。
デート中の男女が『ラ・ラ・ランド』について語り合う。女性は映画の素晴らしさを語るが、男は冷静にツッコミを入れる。その一部始終が監視カメラで捉えられていて、男は“ラ・ラ・ランドをけなした”罪で逮捕され、取り調べられてしまうという設定。
その後、取調室に移送された男は、取調官の女性に「『ラ・ラ・ランド』が最高だったわよね?」と問われ、男が「途中ダレルけどね」と反論すると、「何言ってんだよ、このバカったれが!! ラ・ラ・ランドは完璧な映画なの!!」と机上の飲み物を叩き落として詰めよるという、なんとも痛烈な風刺コントが話題を呼んでいる。
参考引用:https://joshi-spa.jp/671664

まるで多数派の意見が正しいと言わんばかりの現象が日本だけでなく、世界中で起きているのだ。『ラ・ラ・ランド』を擁護したい私も、その一端を担ってるではないかと思われるかもしれない、しかし、私の意見(当記事)は、それとは違うことを明記したい。批判は大いに許容したいと思うからだ。100人中100人が同一意見で肯定するコンテンツなどあり得ないし、あったら気味が悪い。しかし、否定意見を見ていると、根拠のない“クレーム”に走ってるものがほとんどなのが気に掛かったのだ。某映画サイトのレビュー300件のうち多かった批判をまとめると……

  • ミュージカルなのに歌が良くない、役者の歌唱力も低い。下手くそ。
  • ラストが雑。意味不明。感動できるなんてアホか。
  • (ミアとセバスチャンの)自分の夢に対する情熱が足りない。浅はか。
  • この監督は映画の事を何も分かっていない。
  • この監督は音楽的な知識が皆無である。

これらが批評どころか、批判にもなっていないと思う由縁は、個人的嗜好に因っただけで、根拠、代案、提案がないからである。「何故そう思ったのか?」の理由もない。「このシーンはどうかと思ったけど、もっとこうだったら良かったのに」と続けば、それはクレームでなく意見になるのに…。

まるで、テレビドラマを見ては「最近のドラマは全然面白くない」「また最低視聴率更新」と否定するのと同じだ。お笑い芸人を見ては「あの芸人は一発屋」「あんなのすぐ消える」、CD不況の報道には「最近は良い曲がない」「昔はいい歌手が多かった」と懐古的批判に走る。しかし、そういった批判をする人間に聞けば、ここ何年もドラマも観たことなければ、CDも買っていない事実に驚く。要は批判だけが先行しているのだ。

“総一億人評論家時代”なんて言葉を耳にしたこともあるが、ネットの普及によりSNSなど誰もが手軽に評論とも捉えられない“感想”“印象”を発信できる時代にある。しかも、何故か上から目線。なんせ良い部分を評価するプラスのコメントが極端に少ない。こういった辛口評価の方が刺激的で面白い。そういう週刊誌のスキャンダルに群がる大衆意識と言うものが働いているのか、物事をけなす意見=刺激物に人々は飛びつく傾向にある。そういった傾向を憂う声もある……

このように、気がつけば私たちは無意識のうちにありとあらゆることを批評しているのです。

そもそも、批判と批評は本来は別のものです。
批判が「人の言動の誤りや欠点を正すべきであると指摘すること」であるのに対して、批評は「できるだけ客観的に 近い形で、ものごとの良い部分と悪い部分の価値判断を下すこと」です。
ですから本来批評というものは、対象となるものの良い部分と悪い部分の両方を取り上 げなければならないのです。しかし、多くの場合実際に行われているのは「批評」ではなく、悪い部分だけを取り上げる「批判」であります。

評価サイトでひどい人では、商品のレビュー欄に商品とはほとんど関係のない自分の意見や主張を作文のように延々と書いている人もいます。
このような人たちは商品の批評や評価をしているのではなく、ただ自分を見てもらいたいだけ。自分の意見や考えが正しいと世間に知らしめたいだけです。
このように、批評や評価というものがしかるべき客観的な視点からではなく、単なる個人的な感情や自己顕示欲によって行われています。

参考引用:佐藤密・著『脱批判のススメ: 不機嫌な心を手放す』(小金井書房)より抜粋

『ラ・ラ・ランド』の批判(だけに限ったことではないが、巷に溢れる映画評の大半)もそのようなものが多い。重箱の隅をつつくような“中傷”に近い気がする。

本筋から逸れた批判

http://www.imdb.com/title/tt2582802/mediaviewer/rm1835651328

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デミアン監督作品に必要不可欠となっているのが“ジャズ”だ。なので、前作『セッション』も『ラ・ラ・ランド』も、音楽映画、ジャズ映画として捉える意見が多々あることは、ある意味致しかねないことなのかとも思うが、『セッション』の時に、ジャズ業界から、その音楽的な描写の浅はかさを批判する声があった。確かに、ジャズというイチ音楽のジャンルを深々と吟味し表現していないことは、ジャズ素人の私にも分かる。ジャズを嗜んでいる者にしか分からないような専門用語すら出て来ないし。となれば、『セッション』も『ラ・ラ・ランド』も、特定のニッチ・ジャンルな映画ではなく、大衆娯楽映画だと位置付けるのが最もらしいと思う。しかし、問題はそこにはない。

『セッション』なんかは、パワハラ鬼教官との対立を繰り返し、スパルタ教育の果ての成長物語や、狂気に満ちた師弟関係という映画の本筋がある。そのため、“ジャズ映画”と位置付けることはしないだろう。『ラ・ラ・ランド』然り、まったく別ジャンルの映画であるのだから。本質的テーマは音楽でもジャズでもないのだ。

では、『ラ・ラ・ランド』の本質的テーマとは何なのか?

個人差があっていいと思うが、私は「恋愛」「夢の追究」「理想が叶わぬリアル」だと思っている。

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http://www.imdb.com/name/nm3227090/mediaviewer/rm781267456

来日時のインタビューで「本作がどうして評価されたか?」という質問がなされた際もデミアン監督も次のように述べている。

この作品の場合、核になっているのは二人の男女の愛だ。普通の彼らが夢を追う姿を共感しやすい形で描いている。エイリアンが世界を滅ぼしにやってくる話ではない。愛や夢を追うというような内容の映画でも、壮大な経験を提供できるんだという可能性を示したと思う。

続いて主演のライアン・ゴズリングも、こう答える。

この映画は二人の登場人物が自分自身の夢を追う求める、夢を追うことの大切さを描いている。それは全世界の普遍的なテーマだと思う。

引用:https://www.youtube.com/watch?time_continue=136&v=j6rSKCHN9fg

例えば、ジャズ描写の緻密さ部分で足踏みしてしまうと、論点がズレているのが如実に表れ、がゆえに、作品の一部の揚げ足取りをしているような悪質な批判に終始しているとしか見えなくなる。そもそも、この映画にとって、ジャズは付属品でしかないのだ。ジャズを取り上げたのは、筆者の「【考察】『ラ・ラ・ランド』の色彩が持つ魔法!ミアとセバスチャンの心情を“色彩心理学”から、“台詞では語られなかった”細部まで読み解く!」の後半でデミアン監督の経歴の部分で記した通りだが、本質的な“恋愛”“夢への追究”という肝心なテーマを疎かにしていては、矛先の誤った単なるヒステリックにしか思えない。この映画は、セバスチャンのジャズ復興に奮闘する“プロジェクトX”ではないのだ。

最も乱暴な言い方をするならば、本作も『セッション』も、ジャズでなくても成立するのだ。ロックでもいい、クラシックでもいい、なんならフットボールでもいい、もっと言えば、広瀬すずを連れてきてチアダンス躍らしたって良い。本筋は何かを見極める、これは重要だ。だからといって、付属の設定“ジャズ”の描写を疎かにしていいとは決して言わない(先ほどはジャズでなくてもいいとは言ったが、極論でしかない)。しかし、この映画でセバスチャンがミアに「ジャズが死にゆくジャンル」と熱く語るシーンは、現代を取り巻くジャズに対するデミアン監督の意見の反映でもあろう。デミアン監督は、そういったメッセージ性も作品に込めているのだ。

恋愛物語という本筋を理解した上での批判

また、本筋の恋愛物語を理解しながらも、その恋愛模様を批判する声も少なくない。
「恋愛物語としても物足りない。胸キュンする程のものではない」というのだ。

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Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate. (C) 2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.

こういう感想は、各個人の経験に依存する。大恋愛をした人間と、友達感覚の延長上の恋愛しかしてない人間にとっては、感じ方も異なるはずだから。ただ、「恋愛は理屈でなく直感である」なんてキザったらしいこと言うのも照れるが、劇中のミアとセバスチャンのように、夢を追い求めながらも全く成功しないという、共通した苦悩を持った弱い部分を補いながら、惹かれ合う、ロマンチシズム溢れるシーンの連続に何も感じないのかと思うと、少し色気がない批判に思えてしまう。(さすがに、余計なお世話か……)

ラストの空白の5年間の捉え方の賛否

そして、何よりも、この映画の賛否を両断するのは、ラストの捉え方である。
「空白の数年間に何があったのか積極的に想像する」のか、「意味不明」とするのかだ。

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http://www.imdb.com/title/tt3783958/mediaviewer/rm3779867136

ここで、“ラ・ラ・ランド”の意味を今一度確認しておく。

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1.現実離れしている状態。
2.ロサンゼルスの愛称。

今となっては、ここまで話題になっている作品なので、この語源を知っている方も多いと思うが、このように、ラスト・シーンは「現実離れをした状態」=ミアとセバスチャンの理想像であり、“シュールレアリスム”に移行したシーンであることは、タイトルにもなってる程で、この映画の本質的な部分と言っていいだろう。

それに伴い、チャゼル作品における“映画とジャズの関連性”について、チャゼル監督自身が述べた次のような言葉をおさえておきたい。

僕は小さい頃から映画を観続けてきて、気づけば映画を作りたいと思い始めていた。自分自身の成長とともに常に自分の中にあったのが映画なんだけど、ジャズも同じなんだ。ジャズに関しては、10代の頃に学校でやらなければいけない必要性があって始めたものだったが、やっているうちにどんどん好きになっていった。そういう意味では、ジャズが僕の映画の中で取り上げられるのは、ある意味必然と言えるんだ。

http://realsound.jp/movie/2017/02/post-4167.html

続けて、ライアン・ゴズリングはこうとも言う。

落ち込んだ経験はたくさんあるし、その度にたくさんの人に助けられてきた。結局のところ、運なんだ。才能があるのに、運に恵まれない人がたくさんいる。不公平だよね。

http://eiga.com/movie/82024/interview/

夢の実現は時として実力以上に“運”が重要である。そして、夢追い人の大半が挫折を味わう。デミアン監督も、学校教育の中で偶然に出会ったジャズに夢中になり、次第に惹かれ、ジャズ・ドラマーを目指していく。もちろん、これは叶わなかった。監督自身の“ラ・ラ・ランド”なのである。そして、夢を追い求める人には必ず“ラ・ラ・ランド”があり、現実化しないことをライアンは語る……

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http://www.imdb.com/title/tt3783958/mediaviewer/rm716783104

この映画が、そういった社会の苦悩、全て理想通りにならない人生のビターな側面を描いており、その理想を“ラ・ラ・ランド”として表現し、夢追い人の理想郷を儚さを体現させたのは言うまでもないが、デミアン監督自身も別の選択、映画監督になるという決断をする。(後にアカデミー監督賞を史上最年少で受賞するという、この上ない形で成功するわけだが)監督は、「ラ・ラ・ランドでない別の選択でも進み続ける」という結論を、ラスト・シーンの“再会した後に微笑み、頷いた、ミアとセバスチャン”の姿に投影しているのだ。
全てが自分の理想通りにならない人生のビターな側面を理解しようと積極的になり、空白の部分を「意味不明」や「ある種の逃げ」と否定的に捉えずに、想像していくのも面白いとした方が、映画を観ている時にも、振り返った時にも、前向きになれるし、楽しくないだろうか。

批判を非難する風潮は違うが、中傷ばかりが蔓延する風潮にも疑問が残る

映画を批判する行為は否定するべきことではない。しかし、思想のない一時の感情的なクレームで溢れる現代において、真っ当な、反対意見としての“批評”が減ってきているように思える。
私も、今回このような記事を書いたのも、好きな映画を否定されて、逆ギレしたわけでは決してない。
映画なんて所詮は娯楽。「面白い」か「つまらない」の二択であって、それぞれ感性の持ちようで、印象も変わってくる。それでいいと私は思う。しかし、中傷ばかりを放置しておくわけにはいかないと思ったのだ。

賛同の意見ばかりに傾倒するか、反論に傾倒する作品は無いに等しく、あったとしても質の低い作品と言えよう。それだけ単純だということなのだから。賛否両論があって初めて優れた作品と言えると思う。ただ、賛同するにも論者の資質が問われるのと同じように、否定するにも、相応の資質が問われる。揚げ足取りばかりではいけない。本筋を理解していないのは恥である。『ラ・ラ・ランド』が賛否両論になっている今だからこそ、賛同する理由を反論に反論する形で示したかった。理解いただけただろうか?

私の『ラ・ラ・ランド』に関する意見も、これで最後にしたい。素敵な夢を壊したくないからだ。

Source:http://realsound.jp/movie/2017/03/post-4278.html
https://news.yahoo.co.jp/byline/saitohiroaki/20170309-00068520/

About the author

音楽や映画をこよなく愛す、通りすがりのエンタメ馬鹿です。
あのブラッド・ピットに会って、ひと言会話したのが唯一の自慢な、ちっちゃい男です(笑)

某大学芸術学部映画学科、音楽業界を経て、現在フリーのクリエーターとして活躍中。

サッカーが好きな方ならW杯を見ながらビール片手にサッカーの試合について熱く語ることでしょう。野球が好きな人も然り。美食家たちは一流レストランへ趣き、料理の品評をする……それと同様に、私は映画と音楽をこよなく愛し、日頃から多くのエンタメに触れています。

そこで知り合えた、少しでも良質なエンタメや、ちょっとした豆知識、現象などが世の中に広がればいいなと常日頃思いながら執筆しております。通ならではの視点で真剣に映画と音楽を向き合いたい、そんな思いを胸に、今日も映画館へライヴハウスへせっせと走って行きます。お粗末な文章ではございますが、どうぞ、皆さん、ご贔屓にして頂きましたら幸いでございます。
ORIVERcinemaの発展を祈りつつも、私に出来る最大限の努力で、皆様に少しでも多くのここだけでしか得られないレアな情報をお届けできたらと思っております。

真面目かッ!(笑)

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Comments

  • いかさかい 2017年3月16日 at 3:41 PM

    面白かったです☆★
    興味深く拝読させて頂きました。
    これからもお邪魔させて頂きます。

    Reply
    • 川鍋 良章 2017年3月18日 at 7:28 AM

      ご覧頂き、またコメント誠にありがとうございます。
      今後ともご贔屓の程よろしくお願い致します。

      Reply
  • まーどっく 2017年3月21日 at 3:32 PM

    興味深かったです。
    ただちょっと気になった点として
    重箱の隅をつつくレベルではありますが
    ロッキーはともかくランボー1作目はラスト見る限り
    マッチョなアメリカイズムとは程遠いかと思います。

    Reply