【徹底解説】映画『パワーレンジャー』を観る前に!原点『スーパー戦隊』シリーズが積み重ねたヒーローの歴史と想い

『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー』としてアメリカで1993年に放送され、以来続編が続いている世界的な大人気シリーズ『パワーレンジャー』が2017年、映画版としてリブートされました。

しかし日本人としては、“戦隊ヒーロー”でお馴染みのルック。TV版『パワーレンジャー』は、日本の特撮番組『スーパー戦隊シリーズ』のアメリカ向け翻案作品です。文化の相違からドラマ部分を大幅変更し、より自然な演技で展開される作風に生まれ変わり、今や世界中に多くのファンを持つ超大人気ヒーローとなりました。

“仮面ライダー”や“ウルトラマン”と聞けば、CMなどにもよく登場する初代のイメージが浮かぶ人が多いと思います。しかし“スーパー戦隊の第1作は『秘密戦隊ゴレンジャー』だ!”と言われて、どれほどの人がすぐにイメージできるでしょうか(その点、『パワーレンジャー』の場合は毎回、作品別の副題が付くという形式ですので、想起しやすく定着しやすいという向きもあるかと思います。共通する主題歌も有名)。

『戦隊ヒーロー』もいいけど、堂々と行こう『スーパー戦隊』だ!

『スーパー戦隊シリーズ』は、毎週日曜7時30分から、東映制作・テレビ朝日系列で1年間放送されている特撮番組(10月より放送時間を日曜9時30分に変更)。

1年ごとに変わる作品の内容によって、“諜報組織”、“異星人の末裔”、“古代人類”、“武士”、“市民”など、世界観の中での戦隊の在り方、その構成、戦い方が様々に異なるのが特徴です。しかし同じく東映制作・テレビ朝日系列放送の『仮面ライダー』シリーズに比べると、シリーズを通して共通するフォーマットはとても強固。

正味20数分の中で、“プロローグ・敵の出現・変身・名乗り・戦闘・巨大ロボ戦・エピローグ”という要素を盛り込み、戦いの中で問題を解決していく主人公たちを描いています。主人公5人、ないしは追加戦士を含む6人以上からなるスーパー戦隊は通常、共通する変身アイテムを使い、常にチームで行動しなければならず、混戦や決裂が許されない苦境に追い込まれていきます。

ですが作品の持つカラーは毎年、波打つように様変わりしていき、同じシリーズ・同じ構成でありながらも、全く異なる番組として成立しています。しばしばイメージされるパロディ戦隊のような分かりやすさは、実際の『スーパー戦隊』には案外少ないものです。他の特撮番組と同様に、子供はヴィジュアルから入り、大人は不意打ちのドラマに普遍的な感動を見出すことができる、連続ドラマでもあるのです。ではなぜ、その真のイメージが浸透しないのでしょうか?

“スーパー戦隊”という呼称が正式に本編に入ったのは、2000年放送の第24作『未来戦隊タイムレンジャー』から。タイトルも作品ごとに総入替えのため、仮面ライダーやウルトラマンよりはパロディ化されやすいという事情もあるようです。その際にはパーティグッズ然としたコスチュームを身に纏い、様々なイベントやバラエティ番組を盛り上げる役割を担っています。

しかし『スーパー戦隊シリーズ』は、“見てわかるヒーロー性”を極限まで高めたシンプルなストーリーながら、登場人物たちが極限まで追い詰められるという、“人間が日々を生きていく物語”なのです。

スーパー戦隊はなぜ戦うのか?

5色以上の色が各自割り当てられ、同じ形状ゆえに力を合わせ、その色違いゆえに特技を活かし合うスーパー戦隊。40年以上も続く『スーパー戦隊シリーズ』とは、何を描き続けて来たのでしょうか。

かつては国際的組織に属する有能な人材が、ヒーロー活動を“任務”として当然のごとく行う、いわば警察や自衛隊を拡大解釈した存在でした。しかし近年では、主人公たちが“ヒーロー番組”を意識しているような節も見受けられるように。

第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』/ヒーロー=任務

ゴレンジャー(1975~77)に変身するのは、国連が組織する国際秘密防衛機構“イーグル”の精鋭部隊員5人。国内最高峰の超エリートたちです。国際的に暗躍する“黒十字軍”と戦うゴレンジャーが纏うのは、大人の世界を渡り歩いてきた風格。正体を隠し、秘密任務を遂行していきます。

“世界征服を企む巨悪から地球を守る”という大義の裏には、各支部で犠牲になった仲間たちのための“リベンジ”という側面もあり、それぞれの専門分野を駆使して敵を陥れる、スパイものといった雰囲気。熱血漢のリーダー・アカレンジャー(レッド)、クールな頭脳派・アオレンジャー(ブルー)、ムードメーカーのキレンジャー(イエロー)、頼れるお姉さんモモレンジャー(ピンク)、血気盛んで危なっかしいミドレンジャー(グリーン)…ということで、ブラックがいません。

パワーレンジャーのブラックはどこから来たのでしょうか?実はTV版『パワーレンジャー』第1作の原作は、『ゴレンジャー』ではなく第16作『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992~93)でした。

第16作『恐竜戦隊ジュウレンジャー』/ヒーロー=武士道

映画版『パワーレンジャー』の原作の原作という位置づけの『恐竜戦隊ジュウレンジャー』では、それまでにない実験的なアプローチが数多く見られ、今日に至るフォーマットが生まれています。

それまでクライマックスの巨大ロボ戦を担っていたロボたちに精神が宿され、操縦ではなく、主人公たちと意思を通わせる“守護獣”として描かれています。また、武器を開発せずに各地で発見していくという過程があり、本作の魅力である非現代的な冒険活劇の魅力があります。

高校生活を描いた『パワーレンジャー』とは異なり、ジュウレンジャーに変身し戦うのは古代人類5大部族の王族や騎士であるため、出生からして戦う運命にある5人。ティラノレンジャー(レッド)、マンモスレンジャー(“ブラック”)、トリケラレンジャー(ブルー)、タイガーレンジャー(イエロー)、プテラレンジャー(ピンク)ということで、ここにはブラックがいます。

また、レギュラーとしては初の6人目戦士・ドラゴンレンジャー(グリーン)の存在もありますが、映画版『パワーレンジャー』では、“緑”の鎧を象徴的に纏うリタ・レパルサが登場。エリザベス・バンクスが愛嬌をもって演じている点にも注目です。

そしてこのような斬新さを皮切りに、“ヒーロー番組”としての『スーパー戦隊シリーズ』も、幅を広げていくことになります。続く第17作『五星戦隊ダイレンジャー』(1993~94)では“拳法の使い手”として、第18作『忍者戦隊カクレンジャー』(1994~95)では“忍者”として、主人公たちは任務ではなく“修行”に挑み、第19作『超力戦隊オーレンジャー』(1995~96)では大尉であるレッドの下、中尉たるブルー、グリーン、イエロー、ピンクが鬼の特訓を経て精進していく姿が描かれています。

しかしバブル崩壊や大災害を経て、市井の人々が抱く正義や希望が揺らぎ始めた90年代後半。“ヒーロー”はついに、モデルを失うことになります。

第20作『激走戦隊カーレンジャー』(1996~97)で集められたのは、能力を持たない一般市民。地球に危機が迫ろうとも、サラリーマンであるカーレンジャーは、生活費に悩みます。ヒーローになりきれず、庶民にからかわれながらも、どうにか1年を過ごしました。そして第21作『電磁戦隊メガレンジャー』(1997~98)では、“ヒーロー”になることに、一切の因果関係を持たない戦隊が誕生します。

第21作『電磁戦隊メガレンジャー』/ヒーロー=自主性

『メガレンジャー』の主人公5人は、精鋭でもなく、世襲でもなく、未知なるパワーも持ち合わせていない、たまたま居合わせた高校3年生たち。

“デジタル研究会”に所属する5人のうち、“世界科学連邦I.N.E.T.”にスカウトされたのはメガレッドに変身する健太のみ。他の4人は好奇心から研究施設内に潜入するという“選ばれてなさ”ながら、施設内のセキュリティシステムを突破しうるスキルを買われ、強引にメガレンジャーへ変身させられます(6人目の戦士となったメガシルバーの動機もまた、“俺もやりたい!”というピュアなもの)。

しかし次第にヒーロー活動と高校生活の行き来に苦悩していき、被害を恐れた市民に迫害されるという代償さえも、主人公たちは背負っていくのです。

続く第22作『星獣戦隊ギンガマン』(1998~99)以降は、“戦う動機を見出せないままヒーローになってしまった”主人公たちの苦悩に、スポットが当たりました。『ギンガマン』の主人公・リョウマは、本来なれないはずのギンガレッドになる資格を急きょ与えられ、決意の定まらぬままにリーダーを担うことになります。さらに第23作『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(1999~2000)、第24作『未来戦隊タイムレンジャー』(2000~01)では、“ヒーローであることを通して、より普遍的な人間関係に救いを見出していく”等身大の若者たちの姿が描かれました

21世紀に入ると作風自体が一気に明るくなり、非日常的な世界観へ大胆に振り切る事で、“爽快感のある楽しくて強いヒーロー”像が確立されます。その映像的な明るさの中で、第25作『百獣戦隊ガオレンジャー』(2001~02)から第29作『魔法戦隊マジレンジャー』(2005〜06)にかけて、“社会通念から外れた主人公たちが、自分たちなりのヒーロー像を模索していく”時代が続きます。

そして記念すべき第30作目『轟轟戦隊ボウケンジャー』(2006〜07)では、“正義”以外の動機を持った戦隊が現れます。トレジャーハンターであるボウケンジャーの目的は、古代の秘宝“プレシャス”を悪の手から守る事。その過程で人々の平和を間接的に守っていくという、新しいタイプのヒーロー像です。続く第31作『獣拳戦隊ゲキレンジャー』(2007〜08)では敵側のドラマが対等に描かれ、第32作『炎神戦隊ゴーオンジャー』(2008〜09)ではヒーロー論が語れ、そして『スーパー戦隊』はさらなる次元へ。

第33作『侍戦隊シンケンジャー』/ヒーロー=理想像

『侍戦隊シンケンジャー』(2009〜10)のモチーフは、堂々たる“侍”。三途の川から現れる妖怪たち“外道衆”からこの世を守るべく、代々世襲制により戦いを続けてきた一族とその家臣によって結成された戦隊です。

殿である志葉家十八代目当主・シンケンレッド/志葉丈瑠と、丈瑠に仕える家臣たち4人(+親友・シンケンゴールド)。家臣たちの命を預かる丈瑠は、“理想のリーダー”を模索し、“演じて”いきます。シンケンジャーが描き出したのは、“ヒーローであり続けること”の苦悩とも置き換えられます。既存のイメージを守るべく、街の人々、そして家臣たちに“理想の自分”を見せ続ける葛藤は、とても普遍的な共感へと繋がっています。

それぞれのマスクに“火”・“水”・“天”・“木”・“土”(+6人目の侍・“光”)と漢字一文字が印されたヴィジュアルのシンケンジャー。伝統を受け継ぎ戦国時代から日本を守ってきた侍にもかかわらず、変身アイテムや武器には、なぜか英語の名前があるものも。しかし『シンケンジャー』ではその台詞量が膨大。キャラクターたちの何気ない日常会話にも侍としてのバックボーンが感じられ、さらに時代劇調の説明と合わせて聞くと、『シンケンジャー』の世界観が確かに存在するのだと納得させられます(第37作『獣電戦隊キョウリュウジャー』にも、戦国時代からやってきた武士・キョウリュウゴールドが登場していますが、こちらも驚くほど自然に現代に溶け込んでいます)。

また、『スーパー戦隊シリーズ』における“名乗り”にも、その時代劇感が大きなカタルシスを生んでいます。『スーパー戦隊シリーズ』を『パワーレンジャー』へ翻案する際、排斥された要素の一つに、戦う前の“名乗り”がありました。“意味が分からない。攻撃されたら死んじゃうよ”という理由で『パワーレンジャー』ではカット(近年では、名乗り続けた『スーパー戦隊シリーズ』の熱意が伝わり、ようやく理解が得られつつあるようです)。

歌舞伎などの伝統芸能が起源だと言われている『スーパー戦隊シリーズ』の名乗りですが、シンケンブルーは歌舞伎役者でもあるため、その振る舞いは芸術的。そしてシンケンジャーはメンバー全員が侍ということもあり、本来の“見得を切る”を実現しています(翻案作品『パワーレンジャー・サムライ』でも、ブルーの見得切りは健在)。

第37作『獣電戦隊キョウリュウジャー』/ヒーロー=スーパー戦隊

第35作『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011〜12)では、歴代のスーパー戦隊たちがゴーカイジャーに力を託していく姿と共に、35作積み上げてきたからこそ成立する、“スーパー戦隊”という大きな物語が描かれました。

そして第37作『獣電戦隊キョウリュウジャー』(2013〜14)では、「俺たちは戦隊だ!」と自分たちを熱く語る主人公・キョウリュウレッド/桐生ダイゴが登場。“戦隊力”という新しい定義も生まれ、この『キョウリュウジャー』では“戦隊ヒーロー”という存在が何度となくメタ的に語られます。

そもそもキョウリュウジャーに選ばれた5人は、アドレナリン・ジャンキーを思わせる強者たちばかり。“自分の強さを証明するため”に危地に飛び込むレッドとピンクや、それぞれ銃と剣に磨きをかけるブラックとグリーンに囲まれ、唯一正常な感性を持つのはブルーのみ。そんなブルーは、妹と姪を養うパパのような存在。そのため正体を隠しているブルー、出自ゆえに自分を抑えているピンク、父子関係に苦悩するグリーン、トラウマに自分を失うブラックを、“戦隊”にまとめあげていくレッド。この5人が集まることで、“想像以上の戦隊力”が発揮されるのです。

さらに近年では、6人目の戦士に協調性がないという難関もあるため、戦隊力を高めていく上では、コミュニケーション力が欠かせません。戦国時代からやってくるも、抜群の現代性を身に付けるキョウリュウゴールド/ウッチーは、余計な気を回し過ぎて疲弊していくタイプ。続く第38作『列車戦隊トッキュウジャー』(2014〜15)では“理想の死に方”にこだわるトッキュウ6号/虹野明、第39作『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(2015〜16)ではハイテンション過ぎて敵を引かせるスターニンジャー/キンジ・キタガワ、第40作『動物戦隊ジュウオウジャー』(2016〜17)では卑屈で精神的に折れやすいジュウオウザワールド/門藤操と、高い戦闘力を持ちながら5人の輪に入れない追加戦士が増えています。だからこそ、そんな彼らが1年後の最終回でどう5人と接しているかだけで、大きなカタルシスがあるのです。

また『キョウリュウジャー』には、追加戦士の他に“助っ人戦士”として8人のキョウリュウジャーが登場。その8人の葛藤を毎回丁寧に掘り下げていくことで、それぞれが背負う重荷を分かち合う、“スーパー戦隊”特有のヒーロードラマが生まれました。

そして2017年。映画版『パワーレンジャー』が公開されると同時に、『スーパー戦隊シリーズ』もネクストステージへ。

生まれ変わる『スーパー戦隊シリーズ』

既存のイメージはいつの時代からか止まっており、実情とかけ離れているものも多いかもしれません。ですが様々なヒーロー像を模索し、ヒーローたちにアイデンティティを与えてきた『スーパー戦隊シリーズ』には、現在放送中の第41作『宇宙戦隊キュウレンジャー』(2017〜)にも見られるような、大きな転換期がいくつかあります。

1984年/新たなドラマ、ウーマンス

第8作『超電子バイオマン』(1984〜85)では初めて、女性メンバーが二人に。それまで紅一点としてあくまで戦士の振る舞いに徹していましたが、女性メンバーが二人になったことで、そのうちの一人には等身大の女子としての広がりが生まれました。

これにより、戦闘未経験者の素朴な感覚を持つピンクの登場や、姉妹的な関係性の描写など、戦うドラマに日常の要素が加わりました。映画版『パワーレンジャー』でも、ピンクレンジャーとイエローレンジャーによる女子二人の出会い、二人の特訓、二人の休息といった時間が、ヒーローものの枠を超えた“女性間の友情=ウーマンス”を描き出しています。

1991年/ヒーロー、恋に燃える

第15作『鳥人戦隊ジェットマン』(1991〜92)において“ジェットマン”に変身する5人は、レッドを除き、偶然パワーを手に入れた市民たち。ジェットマンとして戦う決意をするも、それまでの生活感を捨てずに年相応の人生経験を重んじるジェットマンたちは、戦隊内で恋のバトルを勃発させます。

戦隊内恋愛は第2作『ジャッカー電撃隊』(1977)の時点で既にありましたが、ジェットマンたちが繰り広げた、戦闘中に恋の鞘当てが生ずるレベルでの大恋愛のおかげで、可能性はさらに広がりを見せます。その多くは、決定的な線を踏み越えない淡い両想いや切ない片思いですが、時に恋愛が、戦隊の結束を高める役割を担うことも。

第24作『未来戦隊タイムレンジャー』(2000〜01)では、未来人と現代人の時空を超えた愛が描かれますが、その愛が深くなるほどやがて待ち受ける未来への悲壮も高まっていくという、視聴者にも厳しすぎるクライマックスへと発展していき、ドラマを盛り上げました。

1993年/レッド、リーダーから解放される

米TV版『パワーレンジャー』の放送が始まった1993年、第17作『五星戦隊ダイレンジャー』では、ついにレッドがリーダーの重責から解放され、メンバー間で対等に振る舞えるように。そして第18作『忍者戦隊カクレンジャー』には、頼もしい女性リーダーの指揮の下、伸び伸びと活動する男性メンバーたちの姿がありました。

おかげで第21作『電磁戦隊メガレンジャー』のレッドである伊達健太は、リーダーをブラックに任せてスキルアップに集中することができ、第24作『未来戦隊タイムレンジャー』(2000〜01)のレッド・浅見竜也は、ピンクに全てを一任して、メンバーの心のサポートに徹することができています。また、第31作『獣拳戦隊ゲキレンジャー』(2007〜08)では責任感の強いイエロー・宇崎ランがキャプテンを担うことで、メンバー全員の特性を活かすことに成功。このように、それまでレッドに委ねられていた役割が分散したことで、全てのメンバーに相応しい役割が行き渡りました。

2014年/戦隊、色を変える

各メンバーへの配色は通常一定ですが、第38作『烈車戦隊トッキュウジャー』には電車モチーフならではの“乗り換えシステム”が存在し、メンバーは他の色へと“乗り換え”が可能。それまでの作品では既に女性レッドが登場していましたが、『トッキュウジャー』では乗り換えシステムによって、男性ピンクが誕生しています。互いに色を変えることで、疑似的に他のメンバーの気持ちを背負うトッキュウジャーの活躍によって、色や武器の相違を超えた自己実現、そして戦隊力の向上に、さらなる展望が生まれました。

2017年/9人、新たなる戦隊の始まり

第41作にあたる現在放送中の『宇宙戦隊キュウレンジャー』は、正規メンバーが9人という新しい体制の戦隊を実現。初の女性グリーンも登場し、これまでにない大きなスケールでの戦いが繰り広げられています。

近年では珍しくなった“メンバー集め”が復活し、メンバーが全員揃っていない中での戦いと、メンバーが増えていく過程でそれぞれが主人公となる、人数の多さに比例して広がる重たいドラマが本作の魅力です。柔軟性の極みに達したレッド=シシレッド/ラッキーによって、9人以上の戦士たちは戦隊力を高めていきます。シシレッドの人生観にも表れているように、“明るさに振り切ってストレスを振り切る”作風が元気をもたらしてくれる作品です。

生まれ変わった『パワーレンジャー』が提示する、新しい第1話

『スーパー戦隊シリーズ』や『パワーレンジャー』シリーズでは、少ない時間の中で“プロローグ・敵の出現・変身・名乗り・戦闘・巨大ロボ戦・エピローグ”が描かれるため、個々人が抱える苦悩は2話以降に回ります。見切り発車の状態で戦いだけが始まり、戦いの中で次第に亀裂が生まれ、戦いの中で克服していきます。

ですが映画版『パワーレンジャー』では、メンバー全員のバックボーンと苦悩が、第1作において2時間の中で描かれています。リアリティの定義は作品ごとに異なり、ヒーローが存在する世界観や、ヒーローになることに抵抗感を持たない主人公たちというのは、既に存在します。しかし映画版が描こうとしているのは、全くの現実世界の中に訪れた未曾有の危機を前に、ヒーローとして、そして戦隊として、結束を迫られる若者の姿です。

なぜ自分たちなのか、なぜこのメンバーなのかという、『スーパー戦隊シリーズ』や米TV版『パワーレンジャー』では各話に振り分けられるはずのドラマが一点に集中する時、それぞれの葛藤を“5人で超える”ことで“戦隊”が完成に至ります。戦隊ヒーローの“オリジン”として、映画版『パワーレンジャー』が提示しているのは、未だかつてないほどダイナミックな“変身”のドラマ、そして全く新しいタイプの“第1話”なのです。

それでいて、見所は溢れんばかり。通常の“第1話+個人エピソード回+放送半年辺りに訪れる大決戦”が、一本の映画に集約されている映画版『パワーレンジャー』は、『スーパー戦隊シリーズ』の感覚を掴む入門編としてもおすすめです。

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